★ Sanctus ★
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
管理番号102-1435 オファー日2007-12-14(金) 23:05
オファーPC アル(cnye9162) ムービースター 男 15歳 始祖となった吸血鬼
ゲストPC1 神宮寺 剛政(cvbc1342) ムービースター 男 23歳 悪魔の従僕
ゲストPC2 シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
ゲストPC3 エンリオウ・イーブンシェン(cuma6030) ムービースター 男 28歳 魔法騎士
ゲストPC4 バロア・リィム(cbep6513) ムービースター 男 16歳 闇魔導師
ゲストPC5 リゲイル・ジブリール(crxf2442) ムービーファン 女 15歳 お嬢様
ゲストPC6 ルイス・キリング(cdur5792) ムービースター 男 29歳 吸血鬼ハンター
ゲストPC7 レーギーナ(ctzm3286) ムービースター 女 30歳 森の女王
<ノベル>

1.お嬢の日常、少年の非日常

 その時、アルは友人を待っていた。
 今日はクリスマス、偉大な聖人が生まれたとされる祭日だ。
 アルは、今日が大切な人たちにプレゼントを贈る日なのだと聞いて、アルバイトで貯めた金銭を手に、その友人と買い物をする約束をしていたのだ。
 待ち合わせの時間は午前十時、ちょうど、今日の目的地であるデパートが開店する時間だった。
「あと……五分、か……」
 待ち合わせは街の一角。
 小さな広場に設置された大きな時計を見上げ、アルは呟く。
 孤独な自分にたくさんのものを与えてくれた人々に、心を込めた贈り物をする、それが、とても素敵なことだと思えて、アルは一体何を贈ろうか、何が喜ばれるだろうかと、様々な品に思いを馳せ、胸を高鳴らせていた。
「……そろそろ、来るかな……?」
 基本的に真面目でつましい性質及び生活をしているアルは、世の中で言うところのセレブリティなどと呼ばれる事物とは無縁だし、特別な興味もない。だから、自分の目の前に、滑るようななめらかさで、日常的に目にする自動車の二倍くらいはある車が止まった時、彼は一瞬何のことか判らず、思わず周囲を見渡したほどだった。
 アルの知識の中にはないその自動車は、一般的にリムジンと呼ばれる、お抱え運転手が運転することを前提とした高級セダンだった。
 そもそもは馬車の形式のひとつであり、運転席と客席の間に仕切りのある自動車であるこれは、現代において、もっとも格式高い正式なリムジンとされているものだ。
 道路が狭い日本ではあまり馴染みのない車だが、お抱え運転手がいたり、座席の座り心地が異様によかったり、車内にカクテルキャビネットや特大テレビモニターが設置されていたりという、空間の快適性を鑑みれば、これが、一般人には手も出せないような高級車であることが判るだろう。
 だから、しばしの黙考の後、もしかして、とアルが思ったのは、
「ごめんアルくん、お待たせ」
 今日の同行人、一緒に買い物をする約束をしていた人物が、一般という概念では考えられないほどの大富豪であることを知っていたからだ。
「……リゲイルさん。お早うございます」
 わざわざ運転手が降りてきてドアを開けると、そこから姿を見せたのは、やはり今日の同行人、ムービーファンのリゲイル・ジブリールだった。
 彼女の隣にでんと腰を据えているサニーデイのバッキー、銀ちゃんは、何故かサイズがウェルシュ・コーギーと同じくらい大きい。夢をたくさん食べた所為で大きくなったんじゃないか、というのが周囲の言だが、バッキーに夢をたくさん食べさせると大きく育つかどうかの真偽は、アルには判りかねる。
「うん、お早うアルくん。もうじきお店開くわよね、早く行こう。さあ、乗って乗って」
 笑顔で促すリゲイルは、燃えるような赤い髪と、晴れ渡った日の海のような青い眼、健康的でいて透き通るように滑らかな白皙の、闊達な印象を与える美しい少女だ。
 今日は、華奢にも見える、しかしその実か弱くはないすらりとした肢体を、流行を取り入れつつも高級感のある衣装に包んでいる。スカートが膝上15cmなのは、彼女のデフォルトであるようだ。
「ああ、はい、では」
 アルは微笑んで頷き、リムジンの扉をくぐった。
 一般人なら気後れして当然の超高級車を前にアルが特に動じなかったのは、彼が自動車に詳しくないのもあるが、それと同じくらい――否、それ以上に、アルが、リゲイルという少女のことを好きで、また、信頼しているからだ。
「じゃあ、行こう。たくさん買わなきゃいけないから、頑張らなくっちゃね!」
「はい、そうですね」
「アルくんは、誰に、何を贈るの?」
「あ、はい、ええと……」
 リゲイルに問われるまま、アルが、クリスマスプレゼント贈りたい人々の名前を挙げ、ひとつひとつ、案をあげて行く間に、リムジンは滑るように走り出した。
 国土の狭い日本という国にあって、車体の長いリムジンは一種の威圧感を醸し出しているようで、道路を走る国産車が次々と道を譲ってくれる。申し訳ない気分にはなるが、手っ取り早いのも事実だ。
 しかしこの光景は、彼女にとってはごくごく当然の、よくあることなのか、それを特に誇るでもないリゲイルの白い横顔を、アルは見つめた。
 色々な縁があって、アルは、リゲイルと親しい付き合いをしている。
 リゲイルの持つ、天性とでも言うべき闊達さ、真っ直ぐさ、優しさや純粋さ、他人を一途に信じられる強さ、そんなものが、アルにはとてもまぶしい。
 アルは、決して思い通りのものに恵まれて生きて来たわけではない自分に、たくさんの劣等感を持っているから、彼女の中に満ち溢れる、善意と言う名の力強いエネルギーに憧れ、また、リゲイルの傍にいると温かい気持ちになる。
「どうしたの、アルくん? ついたわよ、行こう?」
 意識を内に遊ばせている間に、目的地へついていたらしく、リムジンは停まっていた。
「え、あ、はい」
 アルが慌てて立ち上がると同時に、運転手が丁寧な手つきでドアを開け、ふたりを送り出してくれる。
 腰の辺りに銀ちゃんをしがみつかせたリゲイルが、穏やかな微笑とともに恭しく一礼する運転手を労うのを聞きつつ、彼に目礼で謝意を表し、アルは目の前にそびえ立つデパートを見上げた。
 アナラブル・デパートメント・ストア、そういう名前の、世界各地に支店を持つこの百貨店が、今日の目的地だ。
 銀幕市に支店があるのは、当然、映画館系のセレブが訪れる確率が高いからだが、品揃えがよく、高価ではあるが高品質を誇るものであふれたこの百貨店は、セレブ以外の人種にも、大切な日のギフトに相応しいと重宝されているようだった。
 折しも今日はクリスマス、店内は聖夜の贈り物を買い求める人々でごった返していた。
 誰もが、ほんの少し空調が利き過ぎたとでも言うように、頬を赤くし、また楽しげに口元をほころばせて――それでいて目つきは真剣に――、あふれんばかりの品物の山から『あの人』に相応しい逸品を探し出すべく、手指を、視線をあちこちへと滑らせているのだった。
「……色々とありますね。これは、迷いそうだ……」
 人ごみの発する熱気たるやただごとではなく、アルはそれだけで少し疲れてしまい、途方に暮れたい気分になったくらいだったが、
「うーん、そうね……この辺りの品は、わたしの趣味ではないのよね……」
 しかし、セール品を集めた、安価な品物が多い店舗入り口付近は、リゲイルには物足りない区画であるらしく、彼女はすぐに、迷いのない足取りで、店の奥の方へ向かって歩き出した。
 この百貨店は、基本的に、どの階層であっても、奥の方により高級な店舗が入る仕様になっている。安いものがイコール悪いものであるわけではないが、高いものがイコールよいものである確率は前者よりも格段に高い。
「ああ、うん、やっぱりこの辺りよね」
 結果、二人と一匹が辿り着いたのは、デパートの最奥に位置する、一般人では手を出し難いどころか、入るのも躊躇われるような値段が並ぶ区画だった。
「はあ……この辺りが、いいのですか」
「うん、そうなの、ヨーロッパ系の、老舗の品がたくさん入っているのよね。わたし、ヨーロッパの、伝統的な古いお店のセンスって、好き。シンプルなのも華やかなのも、それぞれに味があって」
「はあ、なるほど」
 価格にこだわらない『佳いもの』を使い慣れているリゲイルにそう言われると、ショッピング関係に詳しくないアルとしては納得させられてしまう。
 もちろん値段の高さには驚いたが、品のよさもまた一目で見て取れ、そして今日のこの日のために相当な額を貯めていたアルは、それらを出し惜しみすることなくプレゼントの選択に取り掛かった。
 ――アルは、この街に来て、たくさんの大切な人が出来た。
 だから、プレゼントを贈る相手も、たくさんいる。
 たくさんのギフトを、誰かのために、自分が汗水垂らして働いた金銭で贖う、それをとても喜ばしいことだと思いながら、アルは様々な品物を真剣に物色し、悩み、選んで行った。
 義父には、中に森を思わせる緑の鉱物が入った水晶の置物を。
 義理の伯父には、釉薬の具合が非常に秀逸な、備前焼の徳利とぐい飲みを。
 義理の祖父には、書き物のしやすい、手触りのいい万年筆を。
 恋人には、スクエアで鋭角的な印象のジャケットと、黒い手袋を。
 お菓子作りの先生には、機能的で着心地のいい、収納性も高いエプロンを。
 最近友達になった呪い子の青年には、胡麻団子を盛るのによさそうな皿と、中国茶器を。
 相棒には、これが彼を守るようにとの願いを込めて、ロザリオのついた携帯ストラップと、それと同じくらい少しは大人しくしろという思いを込めて、気持ちが落ち着くというハーブのサッシェを。
 そして今、隣で別の品を選んでいる赤い髪の少女のために、彼女の誕生石であるアメジストの、四つ葉クローバーをモティーフにしたネックレスを。
 それらとは別に、瑠璃と紫水晶と翡翠の原石を密かに買い入れる手続きをしたのは、義父と伯父と祖父に、自分で研磨した宝石をいつかプレゼントしようという思惑があったからだ。自分を磨くように石を磨き、大切な人たちのお守りになるように、と。
 アルは、一生懸命、その人たちのことを脳裏に思い浮かべながら、その人たちが喜んで、笑顔になってくれるといいと思いながら、リゲイルのアドバイスにも助けられつつ、ひとつひとつを手にとって確かめ、選んだ。
 もちろんのこと、高級百貨店で買い物をするのだ、お金はずいぶんとかかってしまったが、金銭に執着するつもりなど一切ないアルは、自分が稼いだお金が、大切な人々を喜ばせる品に変わることを喜び、それを渡す瞬間を想像して思わず微笑んだほどだ。
 誰かが、自分のしたことで喜んでくれる時、アルは、自分がここにいる意味を見出し、幸せな気持ちになれる。
 自分の分の買い物を終えたアルは、どこかすっきりと、晴れ晴れとした気持ちだった。
 ひとまず荷物をリムジンに運んでもらい、身軽になって、今度はリゲイルの買い物のおつきあい、荷物持ちという名のお供をする。
 リゲイルは、驚くべきことに、金銭を一切持ち合わせてはおらず、また、現代人たちが常備しているという、カードなるものも持ってはいなかった。
 しかし、この百貨店はリゲイルにとっては庭も同然であるらしく、彼女がその『庭』を歩くたびに、各店舗から店長と思しき人々が姿を現して、親しみ深い笑みとともに彼女を迎えた。
 笑顔で言葉を交わしたリゲイルが、彼らの薦めに従って頷くたびに、流麗で整然とした、一目見るだけで価値のあるものだと判る品物の数々が、美しいマヌカンたちの美しい指先によって箱に納められ、手触りのいい包装紙とリボンで飾られてゆくのだった。
 リゲイルは、その明るい、分け隔てのない性格から、銀幕市内にたくさんの友人を持っている。
 だから彼女の買い物も相当な量で、リゲイルは、アルのために、アルの相棒のために、家族同様に大切に思っている御庭番の少年のために、兄様と呼び慕う、ムービースター疑惑のある紫髪の青年のために、同じく、兄様と呼んで慕う銀髪の青年のために、魔性のおなかを持つ仔狸のために、猫耳フードの魔導師のために、二足歩行する聖なる兎様のために、ラーメン屋でのアルバイトに勤しむ青年のために、心優しく風変わりな死神のために、クールな女刑事のために、抱き締めてもらうことが大好きな可愛い少年のために、規格外と称するのが相応しい天人主従のために、――そして、アルにとっては恋人であり、リゲイルにとっては友人でもあるヴァンパイアハンターのために、店員たちが薦める様々な品を真剣な目つきで見定め、これと決めたものを、値段などには一切頓着せずに購入していった。
 それは例えば、手触りの佳いマフラーであったり、風景画を思わせる穏やかな風合いのショールであったり、ダイヤモンドのように輝くグラスや、秀逸の一言に尽きる青白磁の杯であったり、シンプルで使い勝手のよい調理器具や、これが髪を飾ればさぞかし美しかろうという絹紐であったり、美しい女性を更に美しく飾るアクセサリの類いであったりした。
 志願して荷物持ちとなったアルの腕の中には、じきに美しい包装のされた箱が山と積まれ、それがアルなのか、それとも二足歩行する箱の山なのか、判らなくなってしまったほどだ。
「ええと……あとは……」
 慣れた足取りでリゲイルが訪れたのは、超がつくほど高級な腕時計を扱う、海外ブランドの区画だった。
「いらっしゃいませ、リゲイルお嬢様。ご自分用の腕時計をお求めですか? それでしたら、つい先日、カルティエのタンクフランセーズが入荷いたしましたよ」
 美しいマヌカンを伴った、責任者クラスと思しき壮年男性が、穏やかな、慈愛すら伺える微笑を浮かべてリゲイルに一礼する。
 以前から付き合いのある店か、人物なのだろう、リゲイルはにっこり笑って、ぴょこんと可愛らしくお辞儀をした。腰にくっついた銀ちゃんが一緒にお辞儀をしているのが微笑を誘う。
「今日は、佐山さん。ううん、今日は違うの。腕時計が欲しいのは、本当なんだけど」
「おや……では、どなたへの腕時計をお求めで?」
 男が目を細めてそう問うと、リゲイルは滑らかな白皙をほんの少し赤らめた。
「ええと、あの……男の人、なんだけど」
 もじもじと恥らいつつも幸せそうな少女の様子を目にすれば、それですべてが判っただろう。男は微笑ましくて仕方がないとでも言うように笑い、では、と、リゲイルをショウケースへいざなった。
「リゲイルお嬢様の大切な方であらせられるのでしたら……こちらなどはいかがでしょうか?」
 男がケースの中から出して見せたのは、鋭さのあるシルバーに、サファイアやラピスラズリを思わせる鮮やかな青の盤面の、シャープな印象の腕時計だった。
 盤面の鮮やかな青が目を楽しませつつも、決して派手な、華美な印象は与えない、機能的かつ実用的な代物で、アルが値段を見遣ると、4にゼロが五個ほどついていたが、恐らくリゲイルの目には入っていないだろう。
 そもそも、ものの値段というものには無頓着な少女だし、この程度は彼女にとって、駄菓子屋でキャンディを買うのと同等の感覚に過ぎないはずだ。
 リゲイルにとって大切なのは、自分がこれと思う佳い品を、愛しい男に贈ることなのだから。
「ああ……とても綺麗」
「はい。ヴァルカンのクラシック1951でございます」
「素敵ね。この青、まるで――……」
 思わず零れ出たという風情のそれの、そこから先を言わなかったのは、少女の恥じらいと言うものだろうか。
「でも……少し、盤面が見辛いかも。他にお勧めはある?」
「そうですか、では……こちらの、ヴァシュロンコンスタンタンのマルタ・スケルトンなどはいかがでしょうか? 一目でヴァシュロンと判るマルタ十字に、ヴァシュロン熟練職人の手作り装飾が施された芸術的作品でございます」
 男が差し出したのは、時計と言うよりもレリーフのような、一個の完成された世界のような、独創的でいてシャープ、かつ流麗なデザインの腕時計だ。
 値段をこっそり見遣ると、こちらも、頭の数字は4なのだが、桁が何と七つあった。
「そうね……これも素敵。でも……少し、イメージと違うのよね。佐山さん、他にお勧めはある?」
「さようでございますか。では……こちらを」
 リゲイルの求めに応じた男が、ベルベットで装飾されたトレイに載せて彼女の前に置いたそれは、
「一秒が明暗を分ける世界に生きるパイロットたちが愛して止まないブライトリング社の逸品、ベントレー6.75でございます」
 潔い白銀に大ぶりの盤面、精緻な外観、圧倒的な、威圧的ですらある存在感を放ちつつも賢しく自己主張はせず、ただ確固たる己を静かに誇るかのような、存在そのものが矜持であるかのような、重厚で凛冽で静謐な、――まるでリゲイルが愛する男のような腕時計だった。
 アルは、今まで、こんなに美しく、重々しく、静けさを感じさせる腕時計を見たことがない。
 リゲイルも同じことを感じたのだろうか、彼女はしばらくそれを見つめていたが、ややあってにっこりと微笑み、
「じゃあ、これをいただけるかしら」
 1にゼロが六つつく腕時計を、キャンディを選ぶのと同じ容易さで決めてみせた。
 アルは度肝を抜かれるしかないが、リゲイルにとっては、特にどうこう言う必要もない、ごくごく日常的な、普通のことなのだろう。彼女が浮かべているのは、恋人に贈るための佳い品が見つかったことに対する安堵と喜びだけだった。
「はい、いつもお買い上げありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ。それで、これ、贈り物にしたいのだけど……」
「畏まりました、ではそのように」
 恭しく一礼した男が、一見すると何の変哲もない、しかしよく見れば確かに誰かのために贈られるのだと判る、華美ではないが美しい包装が施された箱を手に戻るのは、そこから十五分が経ってからのことだ。
 男に別れを告げて高級腕時計関連の区画を出、時計を見遣ると、午後十二時を半分ほどまわった辺りだった。
「……ふう」
 リゲイルが友人たちにと購入したプレゼントの山を一旦リムジンへと運び、また身軽になって店舗に戻ったアルは、しみじみとした溜め息をついた。
「どうしたの、アルくん?」
 可愛らしく小首を傾げてリゲイルが尋ねる。
 アルは苦笑して首を横に振った。
「いえ……すごい熱気だったな、と」
「ああ、そうね、すごい人出だものね、今日。疲れた?」
「いいえ、平気です」
「そっか、よかった。じゃあ……時間も時間だから、お昼ごはん、食べに行こうか。わたし、おなか空いちゃった」
「ああ、はい、そうですね」
「ここの最上階に、創作フレンチのお店があるのよ。とっても美味しいところなの。そこに行きましょう」
「はい、判りました」
 食に関することは、ショッピングに関することと同等にアルの理解や意識の範疇からは遠く、アルはリゲイルの促すまま、最上階へ向かうエレベーターへと足を踏み入れる。
 扉が開く瞬間、ふわり、と、甘い匂いが漂って来た。
 昼食には、確かにちょうどいい時間だった。



 2.指先で拾い集めるように

 肉を好まないリゲイルのために、その日のランチは旬の野菜をたっぷりと使った軽めのコースが饗された。
 アルはそのお相伴に預かって――何せリゲイルはここでも顔パスで、何も言わずとも店内のもっともよい席に案内され、あれよあれよという間に準備が整ったのだ――、ようやく目覚めつつある、しかしまだ幼い味覚をひとつひとつ試しながら、瑞々しい野菜や果物や乳製品、豆製品をふんだんに使った様々な料理をいただいた。
 今日の買い物のことや、親しい人々が集まるいつもの場所のことや、銀幕市を賑わす様々な事件のこと、あちこちで開催されているらしいクリスマス・パーティのこと、そして言葉にして表現するのは面映いが、互いの想い人のことなど、話題は尽きず、ふたりは、美味な昼食に舌鼓を打ちながら、時間を忘れてお喋りに興じていた。
 デザートは、クリスマスということで、ルビーのように赤い苺をふんだんに使い、全体を濃厚な生クリームで飾った美しいミルフィーユだった。
 出されたお茶は薫り高く、雑味が少なく――とはいえ、味覚が完全に発達していないアルには、はっきりとした言葉で『それ』と表現することは非常に難しいのだが――、一口含むごとに、鼻の奥に華やかな風味が抜ける秀逸なもので、アルは、幼い味覚なりに、そのお茶を楽しんでいた。
 楽しんでいたのだが、
『お客様に、迷子様のお知らせを申し上げます』
 ゆったりとしたチャイムとともに入った放送、
『お名前をエンリ様と仰います、青い髪に蜜色の目の、二十代半ばから後半の男性をお預かりしております。お心当たりの方は、七階サービスカウンターまでお越しくださいませ』
 というそれを聞くや否や、驚きのあまりむせ、思わず口に含んでいたお茶を噴いてしまった。
「……ッ!?」
 非常に運の悪いことに、アルがお茶を噴いた先には銀ちゃんがおり、頭から温かい液体を被ってしまったサニーデイのバッキーが、諦観めいた眼差しで深々と溜め息をつく。案外、こういう事態には慣れているのかもしれない。
「どうしたの、アルくん? ああ、銀ちゃん大丈夫? 大丈夫よね?」
 銀ちゃんをナプキンで拭ってやりながらリゲイルが首を傾げる。
 口調が質問というより確認なのは、似たようなことをしたことがあるからだろうか。
「す、すみません……でも、今の放送……!」
「えっ、あ、うん、エンリって……あのエンリさんなのかなぁ?」
「青い髪に蜜色の目と仰ってましたし……そうなのではないかと。でも、迷子って、一体……」
 エンリという名前には心当たりがある。
 外見的な特徴から、水の精霊に愛された魔法騎士、エンリオウ・イーブンシェンだろうと予測はついた。
 しかし、である。
 エンリオウは子どもではないのだ。
 迷子も何も、好きなように出入りすればいいだけなのだから。
「……行ってみましょうか、放ってはおけませんし」
「うん、そうね、気になるものね」
 銀ちゃんを肩に乗せながらリゲイルが言い、アルは頷いて立ち上がる。
 給仕の人々がわらわらと寄って来て謝意など述べるのへ、ごちそうさまでしたありがとうございましたと一通りの挨拶をしてから、あとは足早に七階サービスカウンターへと向かう。
 大急ぎで通り過ぎる店内は、まだまだ、プレゼントを買い求める人々でごった返していた。

 * * * * *

 迎えに行ってみれば、やはり迷子とはエンリオウ・イーブンシェンに他ならなかった。
 何せパッと目を惹く美形ムービースターであるので、サービスカウンター内の女性たちの熱い視線を受けているようだったが、本人はそれらにはあまり気づかぬ様子で、温かいお茶を出してもらって嬉しそうにしている。
「エンリさん、一体どうしたんですか、こんなところで」
 別に調子が悪いようにも見えないエンリオウの姿にホッとしたアルがそう声をかける。
 しばしの沈黙の後、
「ええと……誰だったかなぁ?」
 穏やかで理知的な蜜色の目でアルを見つめ、首を傾げたエンリオウの第一声が、それだった。
「エンリさん? 何を言ってるんですか、僕です、アルですよ」
「んん……アルくん、かい? うぅん、思い出せないなぁ。そちらのお嬢さんは……」
「リゲイルさんですよ。面識はあるはずです、忘れてしまったんですか?」
「んん、そうみたいだねぇ。名前しか覚えていなくて、途方に暮れていたんだよ」
 途方に暮れていたといいつつ少しも困ってはいない様子でエンリオウが笑うのを見遣り、アルはリゲイルと顔を見合わせる。
 話を聞くと、自分の名前以外の記憶すべてを失って、よく判らないままふらふらとあちこちを彷徨ったあと、このデパートの賑やかさが気に入って中に入り、やはりふらふらと歩き回っているところを保護されたものであるらしい。
「ええと……記憶喪失、だったっけ、こういうの?」
「そう、なのですかね。しかし、何でまた、こんなところで」
「エンリさんって、実は結構なお年なのよね。だったら、もしかして……実は、ボケちゃったとか」
「……」
「……」
「……在り得るのが怖いですね。というか、それが正しいような気がしてきました」
「うん……わたしも。じゃあ、どうしよう? このまま何も思い出せないんじゃ、哀しいわよね。思い出が全部なくなっちゃうなんて、可哀想だわ」
「はい、僕もそう思います」
 顔を見合わせ、思案した結果、エンリオウをリゲイルのリムジンに乗せ、彼に関係の深い場所をあちこち回ってみようということになった。
 記憶の琴線に触れる何かがあれば、思い出すのではないか、と。
「うわあ、とても広いんだねぇ、何だかわくわくするなぁ」
 自動車に乗って市内を回ることを単純に喜んでいるエンリオウと、彼の暢気さに苦笑するアルと、そうよね楽しまなくちゃ損よね、とエンリオウに同調してにこにこ笑うリゲイルとを乗せて、リムジンは滑るように走り出す。
 最初に回ったのは、オーソドックスに、銀幕市市役所、銀幕広場、聖杯通り、映画館パニックシネマ、カフェ・スキャンダル付近。銀幕市に住まう市民で、ここを訪れぬものは滅多にいないだろうというエリアだ。
 しかしエンリオウは賑やかでいいねぇと喜ぶばかりで、何かを思い出す様子はなかった。
 次にリムジンが回ったのは、アップタウンに位置するマンモス私立校、綺羅星学園と、富裕層が数多く暮らし、またハイセンスなブティックなどが軒を連ねるショッピングモールを含んだ綺羅星ビバリーヒルズ周辺だった。視界の向こう側には銀幕市最大の病院も見え、整然として美しい、いかにも高級住宅地という雰囲気を持った区画だったが、やはりエンリオウは綺麗な場所だねぇとにこにこするばかりだった。
 仕方がないから移動しようとしていたら、前方から見慣れた人物が歩いてくるのが見え、リゲイルが手を振る。
「バロナくんに神宮寺さんじゃない! どうしたの、こんなところで!」
「ああうん、ちょっとした用事で……ってバロナじゃない! バロナじゃないからねっ!?」
「何か必死だな、バロア……」
「そこは必死になるに決まってるだろ!? キミだってターシャちゃんって呼ばれたら必死で訂正するだろ!」
「う、いや、それはそうなんだが。……さておき、どうしたんだ、あんたら? 俺たちも人のことは言えねぇけど、珍しいんじゃないか、こんなとこに来るなんて」
 猫耳フードがデフォルトの闇魔導師バロア・リィムと、最近様々な不幸体質を露呈しつつある悪魔の従僕神宮寺剛政(じんぐうじ・たかまさ)の登場に、アルはリゲイルと顔を見合わせ、かすかに頷きあった。
 即ち――旅は道連れ、である。
 顔見知りがたくさんいて、わいわい賑やかにやった方が、記憶が戻りやすくなるかも、という目論見だ。
 幸いふたりともエンリオウとは面識があり――どういう面識なのかは尋ねてはいけない――、アルがエンリオウの状況を説明すると、協力を申し出てくれたので、リムジンは乗客をふたり増やして更に走り出した。
 リムジンが次に向かったのは、銀幕市の南部、海沿いの地域だった。
 リゲイルの住まいである銀幕ベイサイドホテルを遠くに臨みつつ、カップルと思しき男女が楽しげに散策する星砂海岸付近を走り、銀幕市の沖合いに緑にあふれるダイノランド島を見た後、地獄に通ずる巨大な門へ近付く。
 どこもそれぞれ、エンリオウには関係のある場所だったはずなのだが、やはり、彼の記憶は戻らず、エンリオウは個性的で面白そうな場所だねぇと暢気に笑うばかりで、ちっとも事態が進展する気配はない。
 地獄の巨大な門の近くでリムジンを止め、門の前で尻尾を振っている三ツ首の巨犬ケルベロスに手を振りながらリゲイルが首を傾げる。
「戻らないわね、記憶。馴染みの場所を回るくらいじゃ、駄目なのかしら……」
「そうですね、しかし、他に何をすればいいのやら」
「うーん、そうね、もう少し気長に回ってみるしかないかもね」
「やあ、可愛いねぇあの大きな犬。一緒に遊びたいなぁ」
「……当人がこれだからなぁ。何か、もっときっつい衝撃とか与えてみるべきなんじゃねぇの?」
「しかし神宮寺さん、衝撃とはどのような?」
「んー……ぶん殴る、とか?」
「いつも思うんだけど乱暴だねターシャちゃんは。それでエンリの脳味噌がはみ出て二度と戻らなくなっちゃったらどうするのさ?」
「乱暴はともかく俺はターシャじゃねぇ」
「ああ、ごめんごめん、つい」
 記憶、思考などという、かたちには出来ぬ領域ゆえに、彼らの誰もが有効な手段を提示し得ず、当人を除いた四人が顎に手を当てて考え込んでいると、
「あっれぇ、何か面白い組み合わせだなぁ?」
「……まぁ、俺たちがそれを言えるかどうかは微妙なところだがな」
「いやだわお兄さまったら、それじゃあオレたちの組み合わせがまったくもってそぐわないみたいじゃない?」
「……そぐわないと思っているからこその物言いだったんだがな」
 視覚的ムービーハザードの呼び声も高い、アルの相棒、ルイス・キリングと、金髪緑眼の美形ヴァンパイアハンター、シャノン・ヴォルムスとが、何故か連れ立って歩いて来た。
 アルはルイスの登場に思わず眉根を寄せ、同時にシャノンの登場に思わず頬を染めて微笑する。忙しいことだと自分でも思うが、双方に対する条件反射のようなものなのだ、致し方がない。
「シャノンさんにルイスさん、どうしたの、珍しい取り合わせね?」
「おっとリガちゃんにまでそう言われるなんて、ルイス、困っちゃう」
「……話がややこしくなる、貴様は黙っていろ。少しややこしい仕事でな、仕方なくルイスの手を借りてやったんだ」
「さすがはお兄さま、すんばらしく高飛車な物言い……」
「事実だろう? 違うか?」
「……いえ、違いませんです、はい」
 逆らっても無駄だ、といった諦観を滲ませてルイスが折れる。
 不思議な関係だと見ていて思うが、アルにとっては双方大切な存在なので、ふたりが現れて嬉しかったのも事実だ。
「仕事だったのですか、シャノン。お疲れ様です」
「ん、ああ。まぁ……とりあえずは終わったからな。しかし、お前たちは何故ここに? 俺たちも人のことは言えないが、ずいぶん変わった取り合わせじゃないか。何かあったのか?」
 歩み寄ってきたシャノンに人前でハグをされるのにもずいぶん慣れた。
 何せ、アルの周囲には、スキンシップ過多な人々がたくさんいる。
 もちろん、恥ずかしいのもまた事実だが。
「ええと……それはさておき」
 シャノンとルイスの登場も縁だろうと、アルはリゲイルと頷き合い、彼らも巻き込むことに決めた。
「あの、実は」
 事情を説明し、協力を要請すると、シャノンもルイスも、ふたつ返事で了承してくれた。
 エンリオウという、共通の知人、友人の記憶がかかっているのもあっただろうが、もちろん、普段から自分を殺しがちなアルの頼みならば、それがどんなことであっても、ふたりは決して断りはしなかっただろう。
「まぁ……もう少し、馴染みの場所を回ってみるしかないんじゃないのかねぇ? あと、おじいやんがよく行ってた場所をもう一回訪れてみるとか?」
「うぅん、それが、もう結構回っちゃったのよね。他に、エンリさんがよく行ってそうな場所って、どこかしら?」
 リゲイルが考え込む。
 アルも同じように考え込んだあと、思い出したことを口にした。
「そうですね……ああ、妖霊城やローゼンシュタイン城にもよく足を運んでいると聞いたことが」
「判ったわ、じゃあ、そっちも回ってみようか」
 頷いたリゲイルに促され、リムジンへ乗り込みながら、ふと思いついたという風情でシャノンが口を開く。
「もしくは、色々な事件を扱った銀幕ジャーナルを見せて、記憶を揺さぶるというのはどうだ? 自分が関わった事件の記事を見せたら、何か思い出すかもしれない」
「お兄さまったらアイディアマン。それ、いいんじゃないか?」
 ぽんと手を打ったルイスが同意し、
「確かに、闇雲に動き回るよりも判りやすいかもな。やってみる価値はあるんじゃねぇの?」
 剛政が頷き、
「結構刺激的な事件とかあったからね、エンリの記憶に何か訴えかけるかもしれないもんね」
 バロアが賛成した辺りで、このアイディアは可決された。
 もちろん、それで必ず記憶が戻るという保証はないのだが、焦っても仕方がないのと同等に、他に手がないのも確かなのだ。
 七人を乗せたリムジンは、一路、銀幕ジャーナル社がある市中東部を目指して走り出す。



 3.刻まれ残るもの

 銀幕ジャーナル社には、この街に魔法がかかってからの、数多ある事件を収めた記事・冊子が多数管理されていた。
 ひとつひとつ目を通すのも大変な量だったが、一行は、エンリオウの記憶に刺激を与えそうな記事を探して小一時間頑張った。量が量なので、隅から隅まで……とは行かなかったが、街を賑わせた主要な、大きな事件はほとんど網羅していたはずだ。
 しかし、残念ながら、それらがエンリオウの記憶を呼び起こすことは、なかった。
 エンリオウは、様々な記事を見ても読んでも、すごいねぇ、とか、大変だったねぇ、と言って感心するばかりで、自分が関わった事件についても、さっぱり覚えていない様子だったのだ。
 残念がりながら銀幕ジャーナル社を出たものの、それで挫けてはいられないので、次の手を捜そう、と皆で相談を始めた矢先、彼らの目に入ったのは、プリクラと呼ばれるシール式の写真を撮ってくれる機械だった。
 どうやら付近にゲームセンターがあるらしく、その延長に設置されたものであるらしい。
「そういえば……ここにこうして集まったのも、縁だし、記念だよな」
 言い出したのは、お祭男・ルイスだった。
「皆で写真が撮れるって、素敵ね! わたし、プリクラって、名前は知ってるんだけど、経験はなくて」
 リゲイルがはしゃいだ声を上げる。
 大富豪だろうが何だろうが、彼女が年相応の少女であることに変わりはないのだ。
 シリアス設定も多いムービースターたちも、縁といい記念というそれに、案外まんざらでもなかったのか、特に反対の声は上がらず、結果、ムービーファンの少女を真中に、総勢七人でのプリクラ撮影会と相成ったのだった。
 彼らムービースターはいつ消えるとも知れぬ儚い存在だが、こうして、一時ではあれ刻まれて残るものを貴いと思う者も少なくなかったのだろう。
 事実、瞬間を切り取ったそれは、一瞬一瞬の表情を的確に捉え、なにものにも変え難い貴さを含んでいた。
 出来上がったプリクラを見てみると、アルとシャノンの位置が妙に近かったような気もするが、彼らの関係を知っている人々からは、特に指摘の声は上がらなかった。
「ああ、なるほど、こうやって好きなところへ貼ることが出来るのか。なかなか面白いものですね」
 人数分に切り分けたプリクラの、自分の分をしげしげと見つめつつ、アルが感心していると、唐突にリゲイルが声を上げた。
「あっ、そうだ」
「どうした、リガちゃん?」
 ルイスが首をかしげ、他のムービースターたちが彼女を見る。
「うん、あのね、『楽園』のスイーツがほしいなって。だから、皆でお茶しに行かない?」
 リゲイルの口からカフェ『楽園』の名前が出た瞬間硬直した殿方、実に五名。
「え、ええと……それは、何故急に……?」
 アルが恐る恐る尋ねると、リゲイルはにっこり笑い、
「『楽園』のタルトは、前に、お裾分けでいただいたことがあるんだけど、とってもとっても美味しかったの。でも、わたし、まだカフェにはお邪魔したことがないのよね。だから、せっかく皆がいるのだし、一緒に行きたいなぁと思ったの」
 ね? と可愛らしく小首を傾げてみせた。
「いや、リゲイルさん、ちょ、待っ……」
「何だろう、今僕の脳裏を、何かが走馬灯のように駆け抜けて行ったよ、ふふ……」
「笑いが怖ぇぞ、バロア。しっかりしろ。いや、俺も嫌な予感がしたことは否定しねぇけどよ」
「あー、ナイーブなオレの心臓がひび割れるかと思ったよ、今の。不意打ちもいいとこだ……」
「貴様の心臓がナイーブなら普通の人間の心臓などオブラート並に薄くて脆いんじゃないかと思いはするが、その衝撃は俺にも理解出来る。正直背筋が寒くなった」
 実はこれまでに散々な目に遭って来ている男性陣は、二度と同じ鉄を踏むまいと言い募るものの、
「でも、エンリさん、カフェ『楽園』にもよく行くって言ってたんじゃなかった? 美味しいスイーツとお茶で一息入れたら、何か思い出すかもしれないじゃない?」
 そう言われてしまえば、ぐうの音も出ないのだった。
 何せ、有効な……有効と思われる手段に窮しつつあるのが現状なのだから。
「……じゃあ、さっと行って、お茶をいただいて、さっと帰りましょう。なるべく迅速に、かつ、息を潜めて」
 アルが悲壮なまでの覚悟を滲ませながら、明らかに、カフェへ午後のティータイムを楽しみに行く時には使わないような表現でもって行き先を告げ、同じく悲壮な顔つきで、犠牲者と書いて漢女と読む美★チェンジ被害者たちが重々しく頷く。
「今なら、お勧めは何かしら。楽しみね」
「んん、そうだね、楽しみだねぇ」
 無邪気に喜ぶリゲイルとエンリオウ、そんなふたりを恨めしげに見つめる漢女候補生たちを乗せて、リムジンは快適に走ってゆく。

 * * * * *

 カフェ『楽園』はスイーツを求める客でごった返していた。
 クリスマスということで、『楽園』では、甘さを抑えたふわふわの生地に、淡雪を髣髴とさせる夢のような口当たりの生クリームとルビーのような苺をたっぷりと使った純白のブッシュ・ド・ノエルが限定スイーツとして販売されており、それを求める人々で、店内はさながら戦場のようだった。
 もちろん、イートインのテーブルは満席、店の外には順番待ちの客が長蛇の列を作っている、そんな状況で、それに少し安堵した男性陣が、「満席みたいだから今日は別の店で」という別の案を提示し、嫌な予感を回避しようとした矢先、
「あら……皆さん、いらっしゃい。来てくださったのね、嬉しいわ」
 このカフェ『楽園』の店主にして神代の森の女王であり、銀幕市においては歩くトラウマ製造機とも称されるレーギーナが、輝くような笑顔とともに一行の前に現れた。
 滑らかな光沢を持った真紅のドレスに、サンタクロースの扮装という意味合いなのだろう、純白のファーマフラーと、雪の結晶のように輝くダイヤモンドのピアスで装い、結い上げた髪には柊の葉と実を飾りつけた彼女は、神々しいほどに美しかったが、それと同じくらい、男性陣に、危機感すら伴ったトラウマをつきつけるのだった。
「れ、レーギーナ……!」
「どうしようコレ逃げた方がいいのかなやばい蛇に睨まれた蛙の気分になってきたよ僕」
 思わず息を呑み、一歩後退するのは、『楽園』が主催した一日限りのメイドカフェでウサギ耳メイドさんや猫耳メイドさんに強制美★チェンジさせられたバロアと剛政であり、
「……なんだろう、この、思わず打ちひしがれたくなるような圧迫感は……」
 『楽園』が主催したお茶会でシャニィちゃんになってしまったり、悪魔退治のために魔女っ娘にさせられてしまったりしたシャノンであり、
「何でかなー、絶対に負けねぇっ、て思うんだけど、勝てる気もしねぇんだよなー、あの女王陛下」
「そもそも勝ち負けを云々するような相手でもないと思う……」
 あちこちのイベントで、その被害に遭いまくっているアルとルイスだった。
 そう、このカフェ『楽園』という場所は、甘味好きにはまさしく楽園だが、殿方には地獄の入り口でもあるのだ。
 しかし、女性なのだから当然なのだが、女王と愉快な仲間たちの被害に遭ったことがないリゲイルは、にっこり笑って可愛らしいお辞儀をし、
「こんにちは、初めまして、レーギーナさん。わたし、リゲイル・ジブリールといいます。あの、『楽園』のスイーツの大ファンです」
 そう言って、女王の口元に笑みを浮かべさせた。
「まあ、嬉しいことを言ってくださるのね、可愛い方。わたくしたちの饗する空間とお茶とスイーツが、あなたを一時なりと幸せにし、微笑ませたのならば、こんなに嬉しいことはないわ」
 基本的に、女王は女性には甘い。
 それが可愛い少女とあらば尚更だろう。
 何となく嫌な予感がしていた男性陣五名は、だから、
「今日はお茶をしに来て下さったの、リゲイルさん?」
「ええ、実はまだ、ここでお茶やスイーツをいただいたことがなくて。でも、今日は少し混雑しているようだから、無理かしら」
「あら……そうなの。それなら、とっておきの、漢女の皆さん用……というわけではないけれど、いつもよくしてくださる方々のために設けてある席があるのよ、そちらにおいでになって」
「えっ、いいんですか?」
「もちろんよ、せっかく来ていただいたのですもの」
「わあ、嬉しい。じゃあ、お言葉に甘えて」
「ええ、楽しんで行ってね。では……さあ、こちらへ」
 レーギーナが、一行を店内へ招き入れるだろうことも、何となく予想がついていた。
「いや、あの、ちょ……」
「どうしたの、アルくん。これでエンリさんの記憶が戻るかもしれないんだから、行こう? ねえ、エンリさん」
「んん……そうだね、とてもいい匂いだ、きっと楽しいだろうねぇ」
「そうね、きっと、楽しい一時になるわ。さあ、皆さんも、行きましょう」
 微笑とともにいざなう女王の笑顔が怖い、と呻きつつ、彼女の視界に入ってしまった以上今更逃げても仕方がないというのもあって、一行は、女王のあとを追って歩き出す。
 ひしひしと迫る嫌な予感は、漢女経験者ならば、デフォルトだ。



 4.プチ地獄展開、その後

 一行が通されたのは、たくさんの植物が壁状になり、ちょっとした個室という雰囲気を醸し出すレストスペースだった。
 美しい(が腹黒いと一部では評判の)森の娘たちが入れ替わり立ち代り現れては一向に饗したのは、限定スイーツである純白のブッシュ・ド・ノエルに、ふわふわとしながら滑らかな舌触りの濃厚なチョコレート・ムース、塩キャラメルを練りこんだアイスクリーム、色とりどりのフルーツが閉じ込められたシャンパン・ゼリー、それらが生クリームとともに彩りよく盛られたスクエアな白い陶器のプレートと、爽やかで軽快な香りのハーブ・ティだった。
 豪華で目にも美しいそれにリゲイルは大層喜び、
「素敵ね、とっても素敵。こんなスイーツがいただけるなら、わたし、毎日ここに来たいわ」
 スプーンとフォークを操って、スイーツの山を次々と攻略して行った。
 肉を好まず、食事量は慎ましいリゲイルだが、スイーツに関しては話が別だ。
 所謂別腹という奴で、ケーキのワンホール買いや、それを一息に平らげることなどは、普通の出来事に過ぎない。
「うん、ここで出てくるものって、外れがないよね。僕は、生菓子も好きだけど、日持ちのする焼き菓子も好きなんだ」
「バロナくんはここの常連さんなんだ? 外れがない、って言っちゃうくらい、色んなものを試してるってことだよね」
「常連までは行かないけどちょくちょく来てるよっていうかバロナじゃないからね! バ・ロ・ア!」
「あ、そうだったわね、ごめんなさい」
 そこばっかりは譲れないとばかりに語尾を強めて主張するバロアに、あまり反省はしていない様子でリゲイルが笑い、
「でも……」
 塩キャラメル味のアイスクリームをすくいながら、小首を傾げてエンリオウを見る。
 戦々恐々としつつも結局スイーツを楽しんでしまった面々――甘味に興味のない剛政だけは、ここのシェフが作ったサンドウィッチを饗されていたが――もまた、にこにこ笑っているエンリオウを見遣り、うーん、と唸る。
 エンリオウの記憶は、依然として戻ってはいなかった。
 彼はたくさんのスイーツを喜び、親切な人々と楽しいティータイムを過ごせていることを喜んではいたものの、自分が誰であるのか、どんな過去の持ち主であるのか、目の前にいる人々が自分とどういう関係なのか、それらを忘れたままなのだった。
「……町の中も大抵回ってしまいましたし、他に何か方法がありますかね?」
「難しいよね。僕の魔法にはそういうスペックはないしなぁ。そもそも、頭の中のことって、魔法には頼らない方がいいようにも思うし」
「ふむ……もういっそ、ターシャの言う通り、一発殴ってやるしかないんじゃないのか」
「俺はターシャじゃねぇっつってんだろこのシャナーン」
 シャノンの物言いに顔をしかめた剛政がそう吐き捨てると、リゲイルが、
「そうだわ!」
 いいことを思いついた、という表情で、ぱん、と手の平を打ち合わせた。
「どうしたのですか、リゲイルさん」
「うん、あのね、ショック療法って、いいんじゃないかしら」
「ええと……それは、どういう……」
「美★チェンジって、言うんだったっけ?」
 まったく悪気なく、無邪気に発せられたその言葉に、当事者五名が思わず茶を噴きそうになるのと同時に、
「……あら」
 背後から聞こえた声は、漢女経験者たちをものすごい勢いで硬直させた。
「皆さん、漢女の扮装をお望みかしら?」
 にこやかに、輝かんばかりの笑顔で佇むのは、いつの間にそこにいたのかも判らないが、神代の森の女王だ。
 何でそんなにタイミングがいいんだ、とは、殿方五名の悲痛なる胸中だったが、
「お望みとあらば、わたくしたちも、協力は惜しまないわよ?」
 女王の背後に、赤やピンクやオレンジと言った色鮮やかなミニドレスに身を包み、純白のショールと柊の葉と実の髪飾りで装った森の娘たちが勢ぞろいすれば、待ち受ける地獄を想像しないわけには行かないのだった。
「いやちょっと待とう、うん。大体、俺たちが女装したからと言ってエンリオウの記憶が戻るとは限らないだろう。そんな不確定なことのために、わざわざ俺たちが色々なものを試される意味が判らな――」
「そうね、皆さん、とっても素敵だと思うから、きっとエンリオウさんもあまりの素晴らしさにご自分を思い出されるわ」
「……たまには人の話を聞いて欲しいと思うのは、俺の贅沢なのか……?」
「シャノン、僕もそう思いますから遠い目をするのはやめてください」
「そうか……そうだな、アルが言うからには、きっと間違ってはいないんだろうな」
「はい、大丈夫です、しっかりしてください」
 思わず慰めあうふたりの周囲で、ひしひしと迫る嫌な予感に硬直する男性陣の周囲で、ざわざわ、と、彼らにとっては聞き慣れた音が聞こえる。――何故聞き慣れているのかを彼らに問うてやるのは酷というものだ。
「大丈夫、痛くはしないから、ね?」
「身体は痛くなくてもその他の色んなものが傷むんだっつーの!」
 すでに逃げる態勢の剛政が突っ込むが……それも今更、である。
 ざわざわざわっ。
 周囲で、何かがざわめく聞き慣れた音が響く。
 逃亡不可の四文字が目の前に浮かんだような気がして、思わず世を儚みかける男性陣の耳を打つのは、
「大変かもしれないけど、エンリさんのために頑張って! 大丈夫、皆とっっっても! 綺麗だから!」
 両方の拳を握って、頬を紅潮させ、本気と思しき真剣な表情で力説するリゲイルの、善意からと判っているからこそ却って辛い励まし、だった。
 まったくもって嬉しくない、と、誰かが口にするよりも早く、
「では……いつも通りに」
 にこやかに微笑んだ女王がさっと手を振り、合図を送る。
 ――そして響き渡る、帆布を引き裂くような悲鳴。
 乱舞する色とりどりの布は、まるで花や蝶のようだった。

 * * * * *

「痛い痛い痛い、これ絶対目に痛いよ……!?」
 ベビーピンクの布に埋もれて圧死しそうなバロア、
「ちょ、も……だからここ来たくねぇんだ、何でこんな鬼門なんだよホント……!」
 鮮やかでいて落ち着いた青の剛政、
「そうか、そういえばこのジャンルは初めてだな、と、喜んでおくべきなんだろうか……」
 全身を黒で統一されたシャノン、
「って、え、オレってこの色が一番似合うと思われてんの? ちょっと目がチカチカするんだけど……!」
 少々ケミカルな印象を受けるショッキングピンクのルイス、
「で、ですから白は勘弁してくださいと……!」
 純白の生地に全身を包まれて失神寸前のアル。
 美★チェンジは、速やかに、かつ、情け容赦なく正確に行われた。
 わずか三十分で、先刻まで和やかな空気をかもし出していたレストスペースには、それぞれに似合う色合いの別珍で作られた、所謂ゴシック&ロリータ衣装に身を包まされた五人の漢女たちが、あちこちで今にも床にめり込みそうなほどに打ちひしがれることとなった。
 リゲイルは、
「すごいすごい、皆、とっても綺麗! どうしよう、こんなにたくさんお姉さんが一気に出来ちゃうなんて、わたし、幸せすぎない……!?」
 純粋な喜色に輝く目で、心からの拍手とともに、純粋な賛辞を漢女たちに送っていたが、もちろん、強制美★チェンジの被害者たちの心が、それで慰められるはずもない。
 なし崩しに巻き込まれてこれって、僕って物凄く不幸なんじゃないか? と、バロナちゃんが窓の向こう側の遠いところを見てフフフと笑い、ターシャちゃんは今すぐに地の底まで埋まりてぇ、と血を吐くような声でこぼしていて、シャニィちゃんはなるべく恋人とは視線を合わせないようにしているようだったし、ルシーダ姐さんはやっぱり勝てねぇ、と呻き、アルナちゃんは一度ならず二度ならず三度ならず、一体何度まで……などと涙目でうつむいて、それぞれがそれぞれに打ちひしがれていた。
 しかしそこへ、
「ああ……そういえば」
 のんびり、のほほんとした声が、
「あの時の皆も、綺麗だったねぇ」
 ほやほやと、うっとりと、過去を含んだ言葉を紡ぐ。
 エンレイラ姐さんは、記憶が戻るようにもっと刺激的な衣装にした方がいいかしら、と、リーリウムの試作品という十二単簡易ヴァージョンを着せられていて、やはり女性には見えない上にやたらかっこよく、それでいて変態には決して見えないという奇妙な状況を作り出していたが、自分の出で立ちを気にすることはないようで、
「三姉妹も、春色のお嬢さんも、夜の女王陛下たちも、とても綺麗で素敵だったんだよねぇ……ああ、思い出したよ」
 被害者たちの肺腑を抉るような、こちらもやはり純粋な賛辞を口にして、ほんわりと笑った。
「んん、そうだったねぇ、僕は、エンリオウ・イーブンシェンだ。あの時は、鎌鼬のご主人様を探しに行ったんだっけねぇ」
「エンリさん、思い出したのね!」
 リゲイルが目を輝かせてエンリオウを見上げる。
 エンリオウはにっこりと笑って頷き、
「皆、僕のために、どうもありがとう。お礼を言うよ」
 そこだけは騎士のように、優雅でゆったりとした仕草で一礼してみせた。
「い、いえ……お役に立てれば、何より、です……」
 アルの声が引き攣ったのは、恐らく、美★チェンジ強制参加者たち全員の胸中に生じたに違いない叫びのゆえだった。
 ――つまり、何故よりにもよって自分たちの女装姿を目にしたことで記憶が戻るのか、という。
 確かにそれは衝撃的だ。
 衝撃的だし、記憶が戻ったのならうるさく言うようなことでもないのだろうが、しかし。
 自分たちの立場とか男としての大切な何かとか、そういうものは一体どうなる。
 いや、もちろんエンリオウの記憶が戻ったことは喜ばしい。
 喜ばしいけれども、そのために自分の男としての大切な何かをここまで試さなくてはいけないとかこれなんて試練。
 ――と、いうような、美★チェンジの被害者たちが大抵ハマるループに陥って、魂を抜かれたような表情で、中有を見つめているのだった。
「無事に思い出されたようで、よかったわ。お手伝いした甲斐があったわね」
 確信犯そのものの、美しいが黒い笑顔でレーギーナが言うと、女王の笑顔の黒い部分には気づかぬ様子で、無邪気に微笑んだリゲイルがぴょこんとお辞儀をする。
「はい、どうもありがとうございました! とっても素敵な衣装ですね、これ、全部森の娘さんの手作りなんですか?」
「ええ、そうよ。よかったら、リゲイルさんも、一度試してみてね」
「はい、機会があったら、是非」
 にこにこと笑い合うお嬢と女王を盗み見て、ゴシック&ロリータな漢女五人、口から魂が零れ落ちそうな溜め息をつく。
 曰く、――女って、怖い。
 もちろん、それを面と向かって言ったところで、リゲイルはきょとんとするだけだろうし、レーギーナはそんなことはないわよ、と黒い笑顔でひていするだけだろうが。
 少なくと、今のこの瞬間、リゲイルにもレーギーナにも勝てる気はしない、と、ゴスロリ五人衆は、思った。



 5.幸いなるかな、喜び多き日々

 一行が、着替えを終えてカフェ『楽園』を出たのは、空が最後の赤みを手放して、徐々に夜へと向かおうとしている頃だった。
 せっかくだからお夕飯を一緒に、とリゲイルが提案し、クリスマスプレゼントを買うからここで、とそれを固辞したバロアが、一体誰に贈るのかと冷やかされつつ去る背を見送ったあと、残った六人はリムジンに乗り込んだ。
 向かうは、リゲイルの居宅である銀幕ベイサイドホテル。
 ここの最上階にあるレストランは、材料にこだわり抜いた、目にも楽しい逸品ばかりなのだという。
 ――値段のことは、訊いてはいけない。
 リムジンの中は、適切な温度管理によって快適に保たれているものの、窓越しに伝わる外気はやはり冷たく、冬という季節の凛冽さ、潔いまでの厳しさを、わずかなりと伝えて来る。
 タイミングよく、と言うべきなのか、空からは白いものが舞い始めていた。
「……ホワイトクリスマス、って奴かな」
 広い窓から外を見上げたルイスがヒュウと口笛を吹く。
 エンリオウが、綺麗だねぇと目を細めた。
 雰囲気は出るわな、と剛政が呟き、アルとシャノンは黙って窓の外を眺める。
 リゲイルは、心持ち俯いて、何かを見つめているようだった。
「ん、どした、リガちゃん?」
 人の感情の機微に聡いルイスが、リゲイルの手元を覗き込む。
 リゲイルは、皆で撮ったプリクラに、慈しむような眼差しを向けていた。
「うん……これ、宝物だなぁって、思って」
 しみじみとした、心からと判る言葉に、ルイスはいつもの軽口を忘れて微苦笑する。
「ああ、そうかもな」
 ――誰もが、それを理解している。
 きっと魔法は、永遠には続かない。
 この温かい関係が、温かい人々が、大切な存在が、なすすべもなく消えてゆく日は、いずれ来るだろう。
 それを止めるすべは、神ならぬ彼らにはない。
 しかし、だからこそ。
「来年も、皆で、買い物したり、お茶したり、したいね」
 ぽつり、と零れたリゲイルの言葉に、誰もが頷くのだ。
「再来年も、その次の年も、そのまた次の年も、ずっと」
 ムービースターたちは夢の存在で、いつかは消えてしまうだろうけれど、彼らにも心があり、大切な人がおり、愛するものや、矜持や、願いがあって、たくさんの想いを抱いて今日を『生きて』いる。
 その想い、魂のありように、ムービースターも、ムービーファンも、エキストラも、それ以外の存在も、ない。
 それゆえに、皆が、首を縦に振り、儚いと知りつつ抱くその願いに、切ない祈りに、緩やかな微苦笑を浮かべるのだ。
「来年も、あるかね」
 肩をすくめて剛政が言い、その肩をルイスが叩く。
「まぁ……あるだろ」
 アルは、そっとシャノンに寄り添った。
 シャノンがアルの肩を抱き、アルを赤面させる。
 しかし、その表情は幸せそうで、それを見たリゲイルがにっこりと微笑む。
「おやおや、ふたりは仲良しなんだねぇ」
 エンリオウが好々爺そのものの表情で蜜色の目を細め、
「うん、そうそう、仲良しなんだよなっ」
 それに呼応してにやっと笑ったルイスの揶揄に、射殺しそうな目を向けつつも、その実シャノンの傍にいることが嬉しくて幸せで仕方ないという風情でアルが微笑む。
 今は離れた場所で、自分の大切な人のための贈り物を選んでいるバロアも、きっと、同じ雪を見て、同じことを感じているだろう。
 何故か、誰もが、そんな確信を持っていた。
 想いが通い合うことに、その幸いの在り方に、壁など何ひとつとしてない。
 今の彼らは、確かに、幸いの何たるかを体現していた。
 いつ消えるとも知れぬ不確かな日々の中で、それでも、精一杯に。
「ああほら、もうじき着くわよ。皆、おなかいっぱい食べてね」
 リムジンは滑らかに走り、銀幕ベイサイドホテルへと徐々に近付く。
 空には純白の雪片、聖なる夜は深まり行き、彼らの絆もまた、深まってゆく。

 そんな、クリスマスの、一幕だった。

クリエイターコメントオファーどうもありがとうございました!
とても素敵な内容で、楽しみながら書かせていただきました。

しかしながら、本来は二ヶ月前に公開されてしかるべき季節物を、期日ぎりぎりまでお待たせして大変申し訳ありません。
少々季節はずれですが、このノベルが、あああの時は楽しかったな、という、心地よい記憶につながれば幸いです。

なお、文中に出てきた時計はすべて本物のブランドです。記録者の趣味とイメージで選びましたが……いかがでしょうか。

本分内には、多少捏造してしまった部分もありますので、口調や設定の違いなど、ありましたら、お気軽にご指摘くださいませ。

ともあれ、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

それではまた、何かご縁がありましたら、是非。
公開日時2008-03-02(日) 10:10
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